橋本だんじり物語 【橋本だんじり物語】−[だんじり紹介]−[その他地区]


高野口地区  応其太神社(応其)、名古曽蛭子神社(名古曽)

応其(おおご)
平成24年 橋本市学文路から譲渡

橋本市橋谷新調の町内だんじり
平成17年に学文路へ譲渡、その後応其へ

平成26年に神社へ小屋新築
応其小屋新築

左の画像は平成22年の学文路での曳行
映像募集中 名古曽(なごそ)

蛭子神社の宮付子どもだんじり
20年に一度の上遷宮大祭に限って曳き出される

平成27年の上遷宮には、1月7日に約70人の子供たちが町内を曳行した。

掛け声は「商売繁盛で笹持って来い」「がんばれ」

産経ニュース




紀見地区
  蛭子神社(慶賀野)・葛城神社(柱本)・天王神社(御幸辻)・天王神社(矢倉脇)   相賀八幡神社・隅田八幡神社の氏地以外

映像募集中 慶賀野(けがの)
布団だんじり 廃絶
地区内の蛭子神社に保管されていたが昭和26年頃に解体
現在は神輿のみ
柱本(はしらもと)
町内だんじり 昭和56年新調 地区内の葛城神社境内に保管
紀見峠(きみとうげ)・柱本・沓掛(くつかけ)の3町が合同で町内曳行する
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先代 明治時代に隅田町平野より購入の担いだんじり
昭和44年頃に解体し破風と床板の墨書きを保管
「文化拾四歳丑八月
  山之郷平野村世話人若連中
        大工 芋生村藤蔵」とある
御幸辻(みゆきつじ)
岸和田型 地区内の天王神社へ宮入
平成18年和泉市内田町より購入 10月13日搬入 入魂式
昭和4年に植山製作所制作の仕入れ地車
大工 植山宗一郎  彫り師 松田正幸・木下舜二郎ら
平成21年に隆匠で大改修し9月6日入魂式
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ミニだんじり(平成21年新調)を詳しく 

先 代 昭和54年制作の町内だんじり 平成18年南馬場へ、
     平成22年より かつらぎ町佐野
先々代 町内だんじり 平成7年紀見へ→北馬場→柏原→笠田中
三先代 布団だんじり 現存せず
映像募集中 矢倉脇(やぐらわき)
布団だんじり 廃絶
四段重ねの布団に担い棒へ括り付けた二つ太鼓であった
地区内の天王神社に保管されていたが昭和25年頃に解体
三石台(みついしだい)   橋本市北部紀見地区の新興住宅地
平成11年に県の事業「夢プラン」に選ばれ、2トントラック改造した花車を手作りし曳行中





西部地区  一言主神社(柏原・神野々・出塔・野・山田・吉原・岸上)

柏原(かせばら)
平成20年 河内長野市片添から購入
東家(南出)の先々代で約100年ぶりの里帰りとなる
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先代 平成19年に北馬場より購入の町内だんじり
御幸辻新調→紀見→北馬場→柏原→笠田中で曳行中
先代をもっと詳しく

先々代 唐破風一枚屋根の担いだんじり 大正のはじめ頃休止
映像募集中 神野々(このの)
唐破風一枚屋根の担いだんじり
昭和25年頃に解体  廃絶
出塔(でとう)
平成のはじめに先代を地元大工により復元
一枚屋根で担い棒付き、以前は担いだんじり 屋根周りに彫り物
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先代 唐破風一枚屋根の担いだんじり 大工・彫り師不詳
昭和27年頃より休止、地区内に保管されていた
映像募集中 野(の)
昭和60年頃新調の子供だんじり 町内曳行

先代 市脇の相賀大神社へ宮入していたが廃絶
映像募集中 山田(やまだ)・吉原(よしはら)
一言主神社、神輿を担いで町内をくまなくまわる
岸上(きしがみ)
平成21年5月30日 河内長野市市町西の子供だんじり(通称ムーミンだんじり)を購入し曳行中


先代 手作り子供だんじり町内曳行



他にも数カ所で自治会イベントとして宮入など宗教色の無い親睦目的で、手作りの花車が町内を練り歩いています。
今後、より本格的になり、御幸辻のように協議会や連合に加盟してくる地区が出るかもしれません。

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