橋本だんじり物語 橋本だんじり物語】[彫りもの物語][太平記]-[村上義光 錦の御旗奪還]

錦の御旗奪還(にしきのみはた だっかん)

村上 義光(むらかみ よしてる)は鎌倉時代末期の武将で、後醍醐天皇の皇子である大塔宮護良親王の忠臣として有名。

護良親王の一行は熊野をめざす途中の十津川で、敵方の土豪である芋瀬 庄司に遭遇して、その行く手を阻まれた。
親王一行は通行を乞うものの、芋瀬は「幕府へ面子を立てる為、通すかわりに名のある臣を一人二人、もしくは一戦交えた事を示すために御旗を寄越せ」と難題を言ってきた。

そこで護良親王に付き従った家臣9名のうち、赤松則祐(あかまつ そくゆう)が名乗り出て言った。
「主君の危機に臨んでは自らの命を投げ出す、これこそが臣下の道。殿下の為に、この則祐、敵の手に渡ったとしてもかまわない」

しかし、平賀三郎が「宮の御為にも今は有能な武将は一人たりとも失ってはいけない。御旗を渡して激闘の末に逃げ延びた事にすれば、芋瀬庄司の立場も守れる。」と言った。
親王はこれを聞き入れて大事な錦の御旗を芋瀬庄司に渡して、その場を乗り越えて熊野に向けて先を急いだ。

遅れてやってきた村上義光が芋瀬庄司に出くわした時に、そこに錦の御旗が芋瀬の下人の手に握られているのを見て義光は激昂した。
「帝の御子に対して、貴様ごときがなんということを!」と、敵方に奪われた御旗を取り返し、旗を持っていた芋瀬の下人をひっつかみ投げつけた。
義光の怪力に恐れをなし芋瀬庄司は言葉を失い、義光は自ら御旗を肩に親王一行を追いかけ無事に追いついた。

橋本市御幸辻 枡合い
大阪市平野区 野堂南
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