橋本だんじり物語 橋本だんじり物語】−[名所案内]−[高野街道の紀見峠]

延暦15年(796年)に開かれた紀見峠越えの道は、空海が高野山を開いたことから重要性を増し、東高野街道(京都→生駒西山麓→河内長野)と、
中高野街道(大阪市平野区→松原市→河内長野)、そして西高野街道(堺→大阪狭山→河内長野)のいずれもが紀見峠を越えて紀伊国へと続いていました。

大阪府から紀見峠を越えてくると
頂上付近が府県境
です。
国道トンネルが完成してからは通る車も少なく、
緑が多く静かな一帯は「金剛生駒国定公園」の
ハイキングコースとなっています。
大阪から峠を越えて「紀伊の国が見える」ことから
紀伊見峠と呼ばれました

登り切ったあたりから霊場高野山に続く山並みが
一望できて、茶店で一息ついたのでしょう。
この坂道を多くの旅人が行き来していました
大阪・堺・泉州・河内の各地から人と物が
往来して、だんじりや祭文化も峠を越えて
橋本へ伝わりました。
高野街道沿いには住吉型地車や太鼓台が
みられたのは、そのためでしょう。
南無大師遍上金剛と刻まれた道標
西高野街道沿いに建てられた一里石
安政4年(1857)に堺から高野山まで
4kmごとに13基建てられました
高野山 女人堂まで六里(24km)
河内長野市天見に七里石、
三日市に八里石があります

橋本市内の道標石はすべて現存しており、
これらは市の指定文化財となっています
またここには紀州藩の番所が置かれていました。
番所建物は現存しませんが、街道沿いの
宿場跡には旅籠(はたご)建物が、昔の風情を
忍ばせています。
文化勲章を受章した学者の岡 潔氏を
称える記念碑も建てられています


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