橋本だんじり物語 橋本だんじり物語】−[神社散策]−[相賀八幡神社]

相賀八幡神社おうがはちまんじんじゃ

橋本市胡麻生238番地    例祭日 10月15日

御祭神   誉田別尊(ほんだわけのみこと)   足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)   息長足姫命(おきながたらしひめのみこと) 他

やりまわし名所の通称しまむら交差点を曲がり南下します
紀見方面(東)からの道と合流した三叉路から向こうが神社
祭礼には小原田・紀見・橋谷・原田などが、宮入やお渡りに
やりまわしを行います
橋本方面(南)から来ると鳥居が迎えます
手前には石段が・・・
だんじりは鳥居左手の道路を神社へ向かいます
鳥居付近から見た参道です
参道脇には石灯籠が立ち並び
途中に御旅処があります
御旅処の扉は祭礼時のみ開かれます
手水で清めて拝殿にむかいます
境内から見た拝殿
両脇に大きな石灯籠の常夜灯が
台座には願主として大坂の篤志家の名が刻まれています
境内の古い灯籠には元禄16年(1704)の文字が見えます
他にも享保・延享・明和など江戸時代の灯籠が多数
秋祭りです
橋本市内最多のだんじり9台が宮入します
お渡りは午後2時から
日頃は静かな境内もだんじりと人で溢れます

御由緒
勧請年月日不詳。県中の古社で官知社の一つである。
相賀荘領主であった坂上鷹養が石清水八幡宮を勧請して相賀八幡宮と称した。
胡麻生の地名は慶長検地帳に「胡門」とあり、また「御門」ともある。
氏神の門が有るところから呼ばれたと思われる。
今でも古老の中には「ごもう」と呼ばず「ごもん」と発音される方もある。
天正9年(1581)に高野宗徒との兵火に焼失、天正14年(1586)牲川海部によって再建された。
社宝に正平20年(1365)の鳥居額が残る。


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