【橋本だんじり物語】−[何でも研究室]−[交差旗] |
岸和田旧市で最初に交差旗を採用したのは中之濱町 青年団が球技大会の優勝旗を誇らしげに掲げたのが、その始まりであると言われています。 |
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橋本市で交差旗と言えば紀見。 | |
平成20年に新調されました。 レトロな雰囲気が良いですね。 橋本の下地車では唯一の交差旗や、白色提灯の採用など、斬新なアイディアが光る紀見地車です。 |
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左:積川西、右:橋室 兄弟地車と言われるほど似通った両地車は、交差旗も昭和51年の大修理にあわせて同時に新調されました。 写真の2台は現在は橋本市学文路と原田の地車ですが、何れの地区も今のところ交差旗は採用していません。 |
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橋本型担いだんじりでも交差旗は飾られています。 写真は境原。 前面は松・竹の飾りや御幣に隠れるように、しかし伝統の交差旗がしっかりと存在感を主張しています。 |
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伊都郡紀見村青年団 境原分団の刺繍が、半世紀以上経った今も誇らしげです。 他にも隅田八幡地区では半数くらいで見られるとのことで、垂井・恋野・中島なども色々な意匠の旗を飾るそうです。 |
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日露戦争の当時から国威発揚をうけて、日章旗や旭日旗がだんじりに飾られていたようです。 写真は北馬場先代(妻新調)。 |
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こちらは学文路先代(橋谷新調)。 | |
紀見先代(小原田新調)にも日章旗が交差して掲げられていました。 | |
これは少し珍しい旗の付け方。 だんじり前方に突き出すように掲げられています。 奈良県広陵町櫛玉比女命神社の的場だんじり。 |