【橋本だんじり物語】−[写真館]−[和歌山県見学]−[花盛祭] |
橋本市から紀ノ川に沿って西隣の伊都郡かつらぎ町、高野山への道を上る中腹が天野(あまの)と呼ばれる盆地。
世界遺産 丹生都比売(にうつひめ)神社では春爛漫の花盛りの時期に、古式ゆかしき渡御の儀がおこなわれます。
平成21年4月19日(日) |
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国道24号 笠田駅前の交差点を南に | |
紀ノ川を渡ると道は高野山へと上り坂 | |
振り返ると紀ノ川は眼下はるかに |
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高野山の中腹に開けた盆地である天野地区はのどかな農村 水田とビニールハウスの間に藁葺き屋根の古民家が点在 |
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地区の中心付近にある神社には天照大神の妹である 丹生都比売大神が祀られています |
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織物の祖神といわれ農耕殖産を各地に広められました 神功皇后に協力した功績で紀ノ川以南に広大な神領を得て この地に鎮座されたと言います |
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皇室の御崇敬が厚く延喜の制で明神大社に列せられ 社宝には国宝や重文が数多く保存されています |
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朱塗りの太鼓橋は今年きれいに塗り替えされました この日の午前に渡り初めがおこなわれました |
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広い境内では舞台で雅楽演奏と舞が奉納されています | |
奈良・平安の時代にタイムスリップしたような気分 | |
紀ノ川沿いでは散って葉桜でしたが、天野では散り桜 風に吹かれて花びらが舞います |
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主祭神の御子である高野御子大神がともに祀られ 鎌倉時代はじめに敦賀の気比神宮・安芸の厳島神社を 第三・第四殿に勧請し、以来「四社明神」とも呼ばれています |
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弘法大師が近くに曼荼羅院を建立して、その後高野山に 真言密教の道場を開いてから、高野山の守護神としても 崇敬されています |
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境内では野点がおこなわれ抹茶がふるまわれています 高野山のご住職や外国人観光客たちが接待を受けられています |
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雅楽のあとは和太鼓が奉納されます | |
力強いバチさばき | |
深い鎮守の杜に太鼓が響き渡ります | |
祭り装束の子供達も見学 | |
こちら拝殿脇では渡御の準備が | |
子供達も幟旗などを持ち列するようです | |
花盛祭と言うだけに参道には生花が盛られて並べられています | |
例祭日は10月16日 特殊神事として御田祭りは1月14日 花盛祭は4月22日ですが最近は近くの日曜日に行われます |
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渡御がはじまりました | |
先頭の猿田彦が石段を降りてきます | |
赤い顔、高い鼻、天狗様です | |
一本歯の高下駄です、歩きにくそうです | |
長い行列の後部に伊勢神楽の獅子舞が続きます | |
しんがりは神輿です | |
鎌倉時代に作られたと言われる神輿は国の文化財で、社宝として保管されています。担がれているのは現在の神輿。 | |
太鼓橋をあの高下駄の天狗様が渡ります | |
真新しい朱色の橋に行列が続きます | |
橋を渡ったところで西に向かいます | |
池の中央には厳島神社 | |
神職による遙拝がおこなわれます | |
行列はさらに村中へ | |
祭り囃子ではなく雅楽の調べが響き渡ります | |
氏子戸数は100戸あまり 過疎と少子化高齢化に悩まされる農村である天野 |
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これだけ立派な祭礼を維持するのには並々ならぬ苦労が | |
静かな山村も今日は賑わいます あぜ道にも自動車がずらっと並びます |
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行列は村をまわり | |
大勢の見物人が取り囲む中を | |
神社へと戻っていきます | |
渡御は戦後ながらく途絶えていましたが 平成元年より復興され伝統を守り続けています |
和歌山県伊都郡の一宮である天野大社 丹生都比売神社
だんじりは曳きませんが奈良平安の昔のままの渡御行列は一見の価値があります
付近は夏はホタルの里としても有名、日本の農村の原風景を見ることが出来ます
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