【橋本だんじり物語】−[よもやま話]−[橋本型考察4 松竹] |
橋本型だんじりは前面に松と竹を飾り立てます。 松には御祝儀袋を、竹には御祝儀ビラを付けるのが基本です。 (平野) |
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上の写真とは松竹の左右が違います。 これにはルールが定められているのです。 (境原) |
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隅田八幡神社に宮入りした4台の当番地区は、あらかじめくじ引きで決められた位置に山車を停めます。 この時に本殿の氏神様から見て左手(境内東側)と右手(境内西側)の各2台は、松を本殿側に付けるのが習わし。 1枚目の平野はこの年に右手(境内西側)へ、2枚目の境原は左手(境内東側)だったのですね。 (境原) |
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渡御に先立って神前でのお練りはくじ順におこなわれ、東の1番、西の2番、東の3番、西の4番の順につとめます。 | |
同じ地区の山車でもその年ごとに、くじによって左右が変わります。 この写真では左に松。(垂井) |
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この年には右に松を付けています。(垂井) 松竹は宮入に際して氏神様への供え物という仮説が考えられます。 また、奉納芸の移動式野外舞台であった山車の、背景として使われたのが起源という仮説も。 しかし、泉州・河内・摂津などでは、だんじりに付けているのを見ません・・・・・ やはり橋本限定の特殊な伝統・風習のようですが、起源についてはさらに研究が必要です。 |
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橋谷は担いだんじりが昭和50年代に曳きだんじりに変わり、今では榊だけを飾るようになりました。 しかし伝統を守り、毎年秋祭には小屋前へ松竹に稲穂を結んで立てています。 左の写真は岸和田市修斉地区の土生滝本部に掲げられた稲と松竹飾り。 泉州でも共通する光景を見て驚きました。 やはりこれらを「神様への供物」か「神の憑代(よりしろ)」としていた名残りでしょうか。 |
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交差旗にもこだわりがあるそうで、恋野では日章旗が松側、旭日旗は竹側と決めているそうです。 左右同じ日章旗や青年団旗を付ける地区では、特にそういった決まりはありません。 (恋野) |
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松竹の種類にも決まりがある地区が多く、枝ぶりの良い松は祭りが終わると次に使うものを探し始めます。 竹は成長過程で先を切り取って形を整えて使うことが多いようです。 祭りが終わると山車から外した松竹は燃やされてその役目を終え、山車は格納され静かに次の祭りを待ちます。 |
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