橋本だんじり物語 橋本だんじり物語】−[よもやま話]−[下兵庫中幕の謎]

下兵庫 中幕の謎

橋本市下兵庫の中幕は、松の枝の下に立たれる天皇のお姿という図柄ですが、このお方は「応神天皇」という説と
、「後醍醐天皇」という説があり、地元の方が議論されても結論が出ない謎の図柄となっています。

これが問題の図柄
衣冠束帯に大刀を携え、立派な髭をたくわえた人物。
胸には天皇家の菊の紋。
応神天皇(おうじんてんのう)説

父は仲哀天皇で母は神功皇后
そうです!山車彫り物に頻繁に登場する図柄「神功皇后平産す」で、お髭の武内宿禰が抱き上げている赤ん坊が後の応神天皇。
誉田別尊(ほむたわけのみこと)と呼ばれ、八幡神社の祭神として祀られています。

平安後期成立の歴史書「扶桑略記」に八幡神が現れた話があります。
豊前国(大分県)宇佐郡の神主で大神比義(オオガナミヨシ)という者が、神ならば私の前に姿を現してくださいと祈ると、3歳の童子に姿を変えて竹の葉の上に立ち、「我は十五代の応神天皇であり、護国霊験威身神大自在王菩薩なり」と名乗ったといい、そこで宇佐八幡宮は日本で最も古い八幡神社と言われます。

八幡神は強力な武神として源氏の氏神とされ祀られて全国に広まりました。
その信仰を象徴するのが源義家で、7歳の時に岩清水八幡宮で元服して「八幡太郎義家」と名乗った話は有名です。

下兵庫の山車前幕・後幕には、前九年の役・後三年の役と言った源義家が活躍する題材が用いられています。

ううむ、すると応神天皇だと言うのか?
後醍醐天皇(ごだいごてんのう)説

1288年に後宇多天皇の第二王子として誕生。1318年に31歳で即位した。
鎌倉幕府への反感を募らせて1331年に挙兵したが失敗し、捕らえられて隠岐島に流罪となる。しかし1333年に再び挙兵し足利尊氏や新田義貞らと鎌倉幕府を倒した。

帰京した後醍醐天皇は建武の新政を開始するが、武士・貴族の不満は大きく権威は失墜した。また、倒幕に功績のあった護良親王との確執が深まり、尊氏の讒言を受けて親王を鎌倉に配流している。

足利尊氏が離反し天皇は新田義貞・楠木正成らに討伐を命じたが、湊川の戦いで敗北し正成は討ち死に、尊氏が京都で光明天皇を擁立して足利幕府を開府する。
後醍醐天皇は奈良県吉野町に逃れて自ら朝廷を開き、南北朝時代がはじまった。

各地に自分の皇子を送って北朝方に対抗させようとした。しかし、劣勢を覆すことができないまま病に倒れ、1339年に52歳で崩御した。


地元のお方によれば古老の間では後醍醐天皇説が優勢とのことですが・・・

この幕が新調されたのが明治初期であるため、新政府が「南朝」を正当な天皇家と正式に決定して廃仏毀釈・八幡大菩薩像の廃棄・放生会禁止令発布、楠正成が「大楠公・・八紘一宇・・忠臣」と神格化され英雄になった時代で、当時のだんじり彫り物や幕に太平記は大人気でした。
そういった時代の空気から言えば「あれは後醍醐天皇や」と言われるのも一理ある話です。

さらに深い時代背景や歴史から、ご先祖様たちが当時何を考えて行動していたのかを考えると・・・

さて、いったい貴方様は?どなたなのでしょうか?
それは永遠に謎のまま・・・・・
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