橋本だんじり物語 橋本だんじり物語】−[よもやま話]−[謎の黒駒だんじりのルーツは]

謎の黒駒だんじりのルーツは

奈良県五条市黒駒(くろま)では、明治時代に橋本からだんじりを買ったそうです。
一時期は倉庫に眠ったままという時代もあったのですが、最近本格復活して毎年宮入しています。
五条市では殆どのだんじりが曳きだんじりに改造されてしまい、二見本町に売却された市脇先々代も屋根と彫り物にわずかに面影を残すだけと聞きます。
そんな中で黒駒だけは昔ながらの橋本型担いだんじりのスタイルを守り、一緒に宮入する表野・相谷などのお囃子も伝統が伝わっています。 写真館ー他地区見学ー黒駒のページ

では黒駒だんじりは橋本の何処から買われてきたのでしょうか?
ご存じのとおり明治維新により王政復古がおこなわれ、廃仏毀釈や神社合祀など国家神道による国作りが進められた時期に、各地でだんじり新調ブームが巻き起こり多数が制作されました。
それらのうち何台かは売却されましたが、百年以上前に売買されたという記録では私の知るところ@市脇(橋本市上田を経て五条市二見本町へ)A平野(現だんじりを明治23年新調し、先代を橋本市柱本へ売却、現存せず)B垂井(先々代を柱本へ売却、現存せず)だけです。また新調する際にも先代彫り物を再利用していたり、彫り物や破風を保管していたりするため非該当となります。
唯一、廃絶したとしか言い伝えのない杉尾だんじりの可能性はどうでしょう?
解体したとしても彫り物だけでも大切に保存されているであろうが杉尾地区内には全く現存しません。その時代であれば上田のように転売することも可能であろうし、当時は小屋など持たずに解体して箱に入れて保管するのが一般的であった(境原は現在も解体保管)ため、橋本北部の山手にある杉尾から牛に荷車を曳かせて運搬するのも簡単なことで、可能性としては有ったと思われます。
紀ノ川河南である学文路天満宮の氏地にも江戸時代からだんじりは存在し古文書にも記されていますが、神社境内に保管されている宮付きだんじり以外は行方が知れません。もしかしたらその内の一台が・・・

黒駒には「だんじりは橋本から舟で運ばれてきた」とだけ伝わります。マニアの方が許可を得て調べさせて頂いた際にも、墨書きや神社札などヒントになるものは見あたりませんでした。ひょっとしてウチのではという方が居れば是非ご連絡を。

黒駒町のハッピ

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