橋本だんじり物語 橋本だんじり物語】−[よもやま話]−[橋本型だんじり考察 2]

橋本型だんじり考察

太鼓

和歌山県橋本市東部の隅田八幡神社氏地と、隣接する一部地区にのみ見られる担いだんじり。
だんじりを担いでしまうという他ではあまり見られない祭の形態により独自の発展を遂げたため、その構造や運行方法には興味深い特徴が多くみられます。
そこでこれらを「橋本型の特徴」と定義づけて、他との違いや共通点などを研究してみることにします。

橋本型だんじりのお囃子は太鼓と篠笛。囃子方はだんじりに乗らず太鼓を叩くバチさばきは見応えがあります。(垂井)
だんじりの休憩中もお囃子は途切れることなく演奏されます。また、神社宮入り後には神前奉納囃子を演奏します。
写真の恋野では「五つ返し、七つ返し、入れ琴」という囃子を奉納します。
奉納囃子の種類と数は地区により若干異なりますが、叩き手二人が左右に移動しながら二つの太鼓を奪い合うように交互に叩くのが特徴です。(恋野)
神社紋である巴の太鼓は珍しいです。(境原)

休憩中に演奏されるのは「祇園囃子」
胡麻生では「休み」と呼ばれる囃子も演奏します。

地区によっては練習をかねて神前奉納囃子を演奏することもあります。
太鼓は担い棒の後端に渡した2本の横棒に載せる形で、綱を使ってしっかりと括り付けられます。(垂井)
太鼓の括り方は各地区独自の伝統により、その技は順に伝えられて様々な特色が見られます。(中島)
太鼓をサラシで包む化粧が多い中で、垂井・中島・中下の3地区は綱目を見せるようにしています。(中下)
その他9地区は綱を見せないようにサラシで包んで化粧しますが、さらしの色はこれまた様々です。
写真は紅白の河瀬、赤塚はその名のとおり赤色、下兵庫は白色などカラフルです。
平野では黄色の布で全体的に包み込んで綱目を一切見えないようにしています。
太鼓の胴が古くなり傷んでいるのを隠すために始めたのではないか?と謙遜して言われていましたが、
太鼓全体を包み込むさらしのかけ方が特徴だと誇らしげでした。(平野)
太鼓は各地区の財産であり会館・集会所などで大切に保管されています。
集会所施設が整備される前は村人のより所と言えば「お寺」でした。今も併設されているところが多いですね。
村では神仏一体として祭祀されており、だんじり幕や担い棒もお寺に保管して、
太鼓は秋祭り以外に盆踊りでも大切な役割を担っており現在も櫓の上でも活躍しています。

写真の垂井は6名が横に並んで練習できる施設を持ちます。
橋本市野に太鼓職人の森本泰治さんがおられました。張替の墨書きは昭和62年でした。(垂井)

恋野でも現在の張替前は森本氏の墨書きだったので、橋本市内では結構繁盛していた太鼓職人さんなのでしょう。
中尾甚五郎という墨書き、昭和26年ですが地元の職人さんでしょうか?
最近は大阪市の太鼓正へ依頼する地区が多いのですが、かつては地元にも様々な職人さんが存在し活躍していたようです。(平野)

太鼓は皮を張替ながら胴は古いものも大切に使っていたり保管しています。
その内側には墨書きが残っているのではと想像しますが、張替の際にしか伺い知る機会はありません。
各地区の情報をご存じの方は是非ご教示ください。
太鼓バチは桐材で作られほとんどが手作り。自分だけのお気に入りマイ・バチを使う方も居ます。
長さは様々ですが平均は50センチはありそうです。(平野)
長さの理由はこの写真にあります。(恋野)
担ぎ手が高く差し上げた太鼓を叩き続けるには、自分の背丈とあわせたバチの長さが求められるからです。

恋野では半世紀以上も前のバチが保管されていますが、現在では短すぎて使えないとのこと。
第二次大戦後に日本人の平均身長が急激に伸びたことがこんな所でもよく分かります。
しかしバチの長さにも限度がありますから、叩き手にはある程度の身長が求められます。
何地区かの知り合いに、括り方やロープの本数・長さを聞いたのですが「俺には分からん」という答えばかり。
誰でも出来るのではなく特定の方が伝承されている技術のようです。(垂井)
胡麻生は5連の太鼓が特徴です。担い練りの際は上の2つは叩かれることはありません。
休憩中に降ろされた時には高さの関係から上の太鼓を使うそうです。(胡麻生)
このページのコメントは管理人と酒呑童子さんとの共著です。
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