橋本だんじり物語 橋本だんじり物語】−[よもやま話]−[学文路・西部地区 よもやま話]

《学文路地区》

【学文路】
地域活性化のために平成17年当時の保存会会長さんらが中心になり呼びかけて祭りが始まった。
初代の町内だんじりは橋谷から無償譲渡を受けたが、小屋が無いため地区内の会社倉庫へ好意で預かってもらい、会長宅に保管したりと苦労があった。
区民の寄付により学文路駅前へ小屋が新築されている。
徐々に地区住民にも浸透・定着しつつあり、秋祭りだんじり曳行を子供達は楽しみにしている。
平成20年には初めて清水まで曳行するなど確実に盛り上がりを見せている。
学文路地区は面積が大きく民家は紀ノ川に沿って横に広がるだけでなく、真っ直ぐに山へ向かうかつての高野参詣道に沿って縦にも点在している。
そこで地区内をくまなく回れるように小さなだんじりも手作りし、山手へは車で運び上げるなど苦労されている。
平成23年に橋本市小原田の先代だんじりを購入(岸和田市積川西新調、堺市の神石市之町を経て小原田から学文路へ)
平成20年に個人が尼崎市塚口宮之町先代を購入し保管中。これは現存する4台の「大源だんじり」のうち1台で、新調時からの面影を残している貴重な1台。



【清水】
岸和田市葛城町の有志が作成した子供だんじりを譲り受け、清水小学校の児童・保護者により曳行をはじめた。
そのため現在も地車小屋は清水小学校敷地内を使用しているが、地車庫建設の話が検討されている。
運営は横座(よこざ)、向副(むかそい)、賢堂(かしこどう)、西畑(にしはた)、清水(しみず)の清水小学校区5地区合同でおこなっている。
灯入れ曳行の際も各地区の名前を書いたまとい提灯が先頭を歩き、最上段のだんじり提灯に各地区名を記している。
だんじりの町名旗にある清水は橋本市清水地区ではなく小学校名の清水なのである。

【南馬場】
平成17年に清水が曳いていた子供だんじりを借りて地区内曳行。南馬場だんじり愛好会の設立や揃いの法被新調と、祭りの楽しさを知り盛り上がる。
当初は資金も無く、地区住民の理解も得られないなか、愛好会員がお金を出し合って御幸辻から町内だんじり購入に踏み切った。
買ってきたが地車小屋もなく、やむなくJAの倉庫を借用して保管。会長や区長をはじめ住民の努力で宝くじ基金の助成を受けることが決まり、併せて住民から寄付を募り平成19年9月新築竣工に至った。
竣工式当日は朝から大雨で懸念されたたが、地車移動のはじまる時間には上がり無事清水のJA倉庫から小屋まで曳行し移動、新しい小屋の完成を祝った。
平成22年4月には北馬場より先代だんじり(橋本市妻が新調、北馬場を経て南馬場)を譲り受けて搬入入魂。

平成25年10月、高石市高陽より岸和田型だんじり購入。


《西部地区》 岸上・山田

【柏原】
平成14年に北馬場が先代だんじりを購入したので先々代(御幸辻新調の町内子供だんじり)を譲り受けた。
その後平成20年に河内長野市片添から現地車を購入、11月30日に搬入された。
柏原地区はかつては約60戸であったが現在は3倍に増えており、だんじりの曳行が住民同士の交流と団結に役立てばと願っている。
ハッピの襟には「柏原住人会」とあるが、「拾人」組ではなく「住人」と記されている理由である。。

【出塔】
保管されていた先代担いだんじりを地元大工が曳きだんじりに改造し、子供会中心に地区内を曳いている。
小屋が今までの担いだんじり当時のままで屋根が低いため、コマをはずして鉄パイプをコロにして押し込んでいる。
一つ屋根形式は橋本で唯一。

【野】
手作り町内だんじりで町内曳行している。

【山田・吉原】
山田と吉原の2地区が一言主神社へ保管している神輿を、主に消防団の方が中心となり担いで町内をくまなくまわる。

【岸上】
平成21年に大阪府河内長野市市町西より子供だんじりを譲り受け、この年より町内曳行に使用する。

それまでは手作りの子供だんじり。

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