橋本だんじり物語 橋本だんじり物語】−だんじり紹介]−[相賀八幡神社]


小原田(おはらた)
岸和田型
平成23年8月 入魂式
昭和5年岸和田市池尻新調→平成9年泉大津市南曽根→小原田
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先代 平成7年 堺市神石市之町より購入
明治初期 岸和田市積川西新調
大工 彫り師とも不詳
平成23年6月5日昇魂 橋本市学文路へ

先々代 昭和17年新調の町内だんじり、平成7年に紀見へ

三先代 担いだんじり 現存せず
北馬場(きたばば)
岸和田型
和泉市寺門より購入 平成21年12月6日搬入 
平成22年5月4日入魂式
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先代 平成2年橋本市妻が新調の町内だんじり
    平成15年8月 橋本市妻より購入
    現地車購入につき平成22年4月17日南馬場へ譲渡
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初代 平成7年 紀見より購入、平成18年 橋本市柏原へ
    平成23年かつらぎ町笠田へ
紀見(きみ)
岸和田型
新調年・町 不詳  大工・彫り師 不詳
堺市檜尾中山から購入 平成19年10月25日搬入
平成20年4月20日入魂式

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先代 平成7年 橋本市小原田より購入
   平成19年 高野口町へ

初代 昭和54年御幸辻から購入の町内だんじり 初代
   平成7年 北馬場へ 平成18年柏原へ
古佐田(こさだ)
折衷型
平成3年 堺市片蔵新調
大工 池内福治郎、彫師 野原湛水 等
平成24年6月3日 入魂式
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先代 堺型
江戸末期制作? 大工・彫り師は不詳
昭和26年9月五条市阿田町より購入
平成24年 柏原市某地区へ売却
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先々代 昭和25年頃まで西組と東組に分かれて、それぞれに布団太鼓が有った。
胡麻生(ごもう)
担いだんじり
昭和55年(株)太鼓正で新調
彫り物は先代のを利用 彫り師不詳
飛龍・唐獅子牡丹・竹に虎
幕は明治22年に鈴木松年により描かれた 神功皇后と武内宿禰・源頼政の鵺退治

先代のだんじり幕は「橋本市郷土資料館」に展示
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先代 担いだんじり 大佐の「地車請取帳」に「百四十円也 紀州伊都郡紀見村大字胡麻生 明治31年10月5日請取 かき壇尻」とある

先々代 破風と幕が保管されている
妻(つま)
住吉型(板高欄出人形式)
明治初期に堺方面(一説では陶器地区)で新調
菱木南から北高尾を経て購入
平成14年10月8日搬入入魂式
大工 河村新吾  彫り師 彫又一門
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先代 平成2年4月に梶内だんじり店より購入 初代
平成15年8月 北馬場へ 22年4月に南馬場へ
橋谷(はしたに)
大阪型
平成17年堺市原田より購入 11月17日搬入入魂式
昭和58年原田新調 大工 池内福治郎
彫り物は先代のを利用 彫り師不詳

平成26年に(有)隆匠で大修理 9月28日入魂
屋根・柱・台木等の主要部を復元新調
勾欄合いは山本仲伸師が新しく彫った
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先代 昭和55年制作の町内だんじり 平成17年学文路へ
    平成24年高野口町応其へ

先々代 明治初期制作の担いだんじり 現存せず
幕は昭和御大典を記念して新調と幕箱に墨書き
橋本(はしもと)
川原町(かわらまち)とも呼ぶ
担い舟だんじり、通称八幡丸
舟楽車と書いて、ふなだんじりと読む
嘉永2年(1849)川原町新調、町内の古書には「金子二十二両をもって新調」とある。先代も船だんじりであったが大火で焼失。
担ぎ手不足により昭和56年より移動には台車を付けて曳くようになり、平成18年よりは橋本駅前などでの担いをやめて境内でのみ担うこととしている
胡弓・太鼓・三味線などによる独特なお囃子が特徴
3.3m長、1.46m幅、2.1m高(本体部)
昭和56年橋本市文化財指定
平成9年4月23日県の有形民俗文化財指定

橋本市のHPにも紹介されています

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原田(はらだ)
岸和田型
平成18年岸和田市橋室より購入12月10日搬入
19年5月入魂式
明治28年(1895)岸和田市福田町新調
大工 不詳  彫り師 寺田卯之松

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先代 平成2年高石市1区(小高石)より購入の花車 初代
 先代の姿を詳しく

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