橋本だんじり物語 橋本だんじり物語】−[写真館 何でも見学][お気に入りだんじり]−[河内長野市松ヶ丘 2]

松ヶ丘だんじりは明治29年に橋本市東家(北)寺脇が新調
見送り三枚板は賤ヶ岳の合戦
右面 毛受勝兵衛の勇戦
正面 秀吉本陣、佐久間の乱入
左面 毛受勝介家照 柴田勝家の身代わり
小屋根車板 加藤清正虎退治
隅障子
脇障子
土呂幕
合戦武者で埋め尽くされています
縁葛も武者物
旗台は唐獅子
台木には鯉の群遊
勾欄合いは日清戦争
日章旗を押し立てて進軍する様子が
日清戦争は明治27年7月にはじまり28年3月まで続きました。
明治維新後の日本が初めて外国とおこなった戦争で、その勝利に国民は沸き立ち、政府からもその功績を後世に伝えよとの触れも出ました。
だんじり新調はそんな時代の明治29年ということで、成歓・牙山の戦い、旅順・平壌攻略などの場面が彫られました。
日中韓友好などから「今になると少し・・・」という声もあるようです。

奈良県五條市上野のだんじり幕も日清戦争とのことですが、図柄に問題があるということで使用自粛されたことがあるとの情報も聞きました。

歴史の評価は時代と共に変化するものです。
これらの彫り物も作られた時代の空気を今に伝える貴重な文化財としてとらえたいと思います。
下勾欄合いには兎
平成13年の大修理では屋根・柱・台木などが交換されました。
新調当時の柱も保存されています。
だんじりの柱って釘を使わないので普通の家柱に比べて「ほぞ」が深いですね。
破風も保管されています。
こちらは旧の土呂幕正面(花戸口)、猩々が彫られています。
猩々は能・狂言でお馴染みの海中に棲む酒好きの精霊。
大修理に際して同じ題材による新しい彫り物に交換されました。
こちらが現在の猩々です。
堺のだんバカさんが「えらいビジュアルな猩々やな。誰が彫ったんや?」とつぶやいたら、隣で彫り師の松並氏が「僕です」とおっしゃったという土呂幕です。
新調当時の雰囲気を今に伝えながら、メンテナンスもしっかりとされ大切に曳かれていることが伺えます。
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