橋本だんじり物語 橋本だんじり物語】−[よもやま話]−[相賀大神社宮出]

相賀大神社宮出

紀の川を見下ろす小高い丘の上にある相賀大神社。
急坂を下る宮出には綱を後ろにまわして、ゆっくりと地車を降ろす珍しい光景がみられます。
写真館で市脇入魂式お披露目曳行をご紹介した際に、多くの方から驚きの反響が寄せられました。

青年団はまるで綱引きのようです
後ろ梃子も窮屈そうですね
慎重に急坂を降りていきます

 綱を後ろにまわして坂を降りるこの方法と、同様の曳行が河南町の磐船神社で行われているそうです。
また、河内長野市のの赤坂上之山神社では地車を後ずさりで坂を降ろしています。
いずれにしても非常に珍しい光景で、市脇入魂式でも各地からの見学者たちが、一斉にカメラを構えていたようです。

 この曳行方式がいつ頃から始まったのかは定かではありません。
では何故という理由を勝手な考え方で推測してみます。
 ひとつは坂が長くて急であることです。
大阪平野は比較的平坦で泉州各地や堺市・大阪市などでは、神社への出入りに際して特に長くて急な坂というのはほとんど有りません。
しかし金剛山・葛城山などの麓の河南町・河内長野市・橋本市あたりでは、山の中腹や山頂付近に神社が祀られている場合があり、
そのため泉州では見られない安全に急坂を下るための曳行方式が採用されているのでは。
 次に相賀大神社へは市脇・東家の地車が宮入しますが、明治時代の両地区地車は下の写真のように板勾欄出人形住吉型で、当時の地車にはブレーキは付いていませんでした。
その当時「ヒヤリ」「ハット」があって、先人達が試行錯誤しながら確立された曳行方式で、まさに伝統文化と言えるのではないでしょうか。

左:市脇先代(境内で保管中) 東家先々代(現、橋本市柏原)

 だんじり祭りは曳かれる地域によって微妙に異なる文化が見られます。
または同じような地車でも地域によって全く異なる姿に見えることもあります。
岸和田旧市で曳かれていた中町地車も、橋本の東家では肩勢棒が付けられて、泉州とは全く異なる曳行方式で使われています。
南河内の太子町でも岸和田型地車が、曳き唄にあわせて縦しゃくり・横しゃくりなど河内式曳行をされています。
賛否を唱える方もおいででしょうが、私はそんな違いを見て楽しんでいます。
地車も姿は変わっても大切にされて喜んでいるのではないでしょうか。

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