橋本だんじり物語 橋本だんじり物語】−[よもやま話]−[隅田のだんじり当番]

隅田八幡神社には明治時代は15台のだんじりが有ったが、杉尾・上田が廃絶して13台となっています。
氏子地区を以下の4地区に分けて当番制により、3〜4年に一度だんじりを出して宮入をおこなう制度を続けています。

地区 町名 備考
宮本地区 垂井(たるい)・芋生(いもお)・中下(ちゅうげ) 3年交替
山手地区 霜草(しもくさ)・境原(さかいはら)・平野(ひらの)・山内(やまうち) 4年交替
下手地区 中島(なかじま)・下兵庫(しもひょうご)・河瀬(こうぜ) 3年交替
川南地区 恋野(こいの)・赤塚(あかつか)・中道(なかどう) 3年交替

山手地区は隅田八幡神社より北の山沿い地区のことで、廃絶した杉尾も山手地区にあたります。
宮本地区は神社周辺地区で、神社は垂井に有りますが御旅処は芋生に有ります。
下手地区は宮本地区から紀ノ川沿いに西へ下っていく地区で、旧橋本町に近いところです。河瀬などは昔の宵宮には橋本駅まで担いで来ていたそうです。
川南地区は紀ノ川の南岸にある旧恋野村、廃絶した上田も川南です。
旧の行政区で言えば紀ノ川北岸は隅田町にあたりますが、境原・杉尾だけは紀見村でした。平安時代の荘園の広がりが神社の氏子地区に名残を残しています。
近世になり道路が整備され経済交流が紀見地区と結ばれたことから、両地区は明治の村制の際に紀見村となったのでしょう。

平成18年の当番は霜草・垂井・中島・恋野
平成19年は境原・芋生・下兵庫・赤塚
平成20年は山内・中下・河瀬・中道
平成21年は平野・垂井・中島・恋野となります

泉州の方などが知ったら「1年でも待ち遠しいのに数年間待つなんて」と思われるでしょう。
数年に一度というのは非常に困りものでもありますが、この制度が支持され続いているのには理由があります。
理由のひとつは神社境内が4台という数が丁度良い広さであることで、祭り当日には日頃は広いと感じる隅田八幡神社境内も人人人で溢れかえります。
またお渡りをおこなう時間配分からも現在のスタイルが適切とのことです。
また担いだんじりは多数の担い手を必要とするため、地区ごとに担い手の貸し借りが出来るというメリットです。
だんじり好きは当番地区の応援に入るため毎年どこかで祭りをしているわけで心配ありません。

江戸時代の古書にもすでに現在の4地区に分けて当番制がひかれていた記述があります。
祭りをおこなう者の都合だけでなく古くからの伝統なのですね。

やはりじっとしていられないのか宮本の垂井など非番の年も宵宮のみ担がれる地区もあります。
最近では下兵庫などのように子供船だんじりを毎年出す地区もあります。
氏地の子供達に毎年祭りに親しんでもらおうと「子供神輿」も宵宮にだされるようになりました。
氏子や地区にとらわれずだんじり好きが集まり、担いだんじりの伝統を伝えていこうという宝だんじり(宝くじ振興基金の補助を受け新調)は宵宮のみ運行されています。
このように伝統を大切に守りながら、少しですが新しい取り組みも見ることが出来ます。

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