【橋本だんじり物語】−[よもやま話]−[渡御(だんじりの渡御順)] |
祭のクライマックスはお渡り神事で、どこの神社でも盛大に行われています。しかし橋本市内でも神社によって、しきたり等に少し違いがあるようです。
どれが正しいというわけではなく、長年の間にそれぞれが独自の文化を育ててきたということです。
渡御の列に加わるだんじりにも順番や意味合いに違いがあるようです。
相賀八幡神社の渡御は、だんじり9台が宮入りを終えた14時頃に始まります。様々な役人足と呼ばれる方の行列が続きます。 |
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列の中ほどで神輿は御旅処へと渡ります。 写真は2008年相賀八幡神社渡御、当番地区は橋谷。 相賀八幡神社では渡御の列の最後尾に付き従うのが地車の役目。 相賀大神社でも同じく神輿を御旅処へ見送ってから、地車の練りがおこなわれ宮出へと続きます。 御旅処での神事を終えた神輿は当番地区へと巡幸して、だんじりが夜になって帰町する頃まで氏地をまわります。 当番地区によっては本宮夜の橋本駅前でも神輿を見ることがあります。 |
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こちらは隅田八幡神社、2008年神輿当番は真土です。 隅田では山車は列の行き先を清めるために先頭を順に渡り、神輿は後から御旅処へと渡ります。 御旅処での一斉御練りなどの神事を終えると、山車は各町へとまっすぐに帰っていきます。 酒呑童子さんによれば「隅田八幡神社の祭りは御旅処の神輿還御をもって終了し、山車による神輿の先導役という大役が終了した 当番地区の氏子総代の責任は速やかに安全に帰町して、敬神婦人会(山の神さま方)が待つ慰労会に出席すること。」だそうです。 |
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当歳児と稚児の列が神輿のあとに続きます。 |
学文路天満宮でも当歳児たちが神輿に続いてお渡りをします。 当歳児に関するうんちくは後日に・・・ |
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学文路天満宮では渡御の列にだんじりは付き従いません。 御旅処へは急坂と階段を下りるため、徒歩以外は列することが不可能だからと思われます。 しかし御旅処までは無理ですが、境内から参道途中までの随行が検討されており、実現すると益々盛大な渡御になることでしょう。 その場合,だんじりは神輿の前後どちらに渡ることになるのでしょうか? |