【橋本だんじり物語】−[写真館 何でも見学]−[お気に入りだんじり]−[河内長野市松ヶ丘 1] |
河内長野市松ヶ丘 大工棟梁 大佐12代 川崎宗吉 彫り師は小松源助と赤銅芳松 |
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橋本市東家(北)寺脇が明治29年(1896)に新調しました。 当時の東家には他に南出と御門の合計3台がありました。 詳しくはよもやま話「幻の東家だんじりを探せ」をご覧ください。 |
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橋本で新調された数少ない曳きだんじり。 というわけで詳しく見ていきたいと思います。 |
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平成13年 吉為工務店での大修理の際に獅子噛合わせ面から 「明治二十九年申六月 大阪日本橋二丁目 彫工人 赤銅芳松」という墨書きが発見されました。 |
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こちらは小屋根獅子噛。前後とも迫力有る睨みです。 芳松のだんじりでは八尾市郡川(明治30年新調)が知られています。 同じ河内長野市三日市地区の喜多もそうです。 |
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前年の明治28年新調の河内長野市高向中だんじりの銘板には「住吉郡住吉村 大佐」とあります。 明治5年以降は住吉郡が29年まで続きます。 |
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翌年の明治30年に新調された河内長野市高向上だんじりには「東成郡住吉村 大佐」とあります。 東成郡は明治29年から大正14年にかけてです。 |
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松ヶ丘の銘板には「細工人 堺住吉 住吉村 大佐」とあります。 大佐の銘板年代については若松均氏著「摂河泉地車談義 工匠編」をもとに、HP上地車図絵(リンク貼付)さんに詳しく紹介されています。 明治2年〜5年にかけて、堺県と呼ばれた時代があった頃の銘板となりますが・・・このだんじり新調年である明治29年と時代が異なります? 理由は?興味が尽きませんね。 |
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小屋根懸魚は鷲の猿つかみ | |
おおっ、この猿の表情は迫真です。 爪の先にまで緊張感が表現されています。 |
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小屋根車板の虎も迫力あります 加藤清正虎退治の図です |
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左右の虹梁には竹に虎。 橋本型担いだんじりにも多く見られる図柄です。 江戸から明治期の虎たちはネコのような可愛い顔で表現されています。 |
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間仕切りは唐獅子 | |
大屋根正面左右の脇懸魚も唐獅子 | |
唐獅子の図柄は枡合いなどにも多く使われています | |
何度見てもいい顔してますね。 伊勢神楽の獅子舞を思わせます。 |
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大屋根懸魚は謡曲で有名な石橋(しゃっきょう)。 大江定基が文殊菩薩の住む清涼山で、浄土に通じる石橋に遊ぶ菩薩の使いである獅子に出会う場面が彫られています。 |
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車板は宝珠を掴む青龍。 大工・彫り工が同じで同時期の新調ということで、高向地区の地車と共通したところが見受けられ、車板の構図も良く似ています。 |
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大正期に橋本市東家から河内長野市松ヶ丘に売却されました。 売却の理由は「喧嘩が絶えなかったから」とか「電柱が立って道幅が狭くなり曳行が困難になったから」などと言われています。 |
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明治時代にこんな立派な住吉型だんじりが橋本で新調されていたことを、百年以上経った今になっても誇りに思います。 | |
松ヶ丘の皆さんが大切にしてくれるおかげで、今後も末永く曳き続けられることと思います。 |
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